努力せず楽しく生きる方法とは? 不安や悩みから逃避して楽しい人生を
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MyHappi(マイハピ)とは?
目次
- 「楽しく生きる方法」は本を読んでも分からない!
- 自己啓発本が役に立たない理由
- 楽しく生きる方法 = 不幸を遠ざけるという考え方
- 不安や悩みは克服せずに『逃避』する
- 努力の副作用がもたらす害
- 日常に潜む「努力すれば解決する」という思い込み
- 「できない」ことは諦めて、無理なく「できる」ことを探る
- 「能力至上主義」と「資質を重視する生き方」の違い
- 私の体験談「コミュ障にOLは無理!」
- 転職を繰り返し気づいたこと「努力してもダメなものはダメ」
- 人間関係ゼロの毎日で楽になった!
- 「楽しくない」から逃避した先に「楽しく生きる方法」が
- ドイツの哲学者に学ぶ幸福論
- ここまでのまとめ
- 「相対化」すると不安や悩みが消えることも
- 最後に
- 監修の先生ご紹介
「楽しく生きる方法」は本を読んでも分からない!
楽しく生きることは難しい。
しかし世に流通している自己啓発本や「幸せに生きるためのハウツー」は、「いま幸せな人」の視点で書かれています。
例えば、
- 自分に自信を持ちましょう! 私を見習ってください!
- 悩むな! 直感で「今」を生きろ! 毎日が楽しければそれでOK!
- 考えずに「行動」することが大切! 結果は後からついてきます!
私自身、そうした言説に大量に触れてきました。1000冊以上を通読した自己啓発本マニアです(笑)
役に立たないんです。
自己啓発本やハウツーサイトって、とことん成功者の視点で書かれていますよね。
上から目線で、猪突猛進型、参考にならない体験談ばかりが延々と紹介されていたりします。しかも自慢げに…。
そうした成功例を「追体験」することで、確かに読後はちょっと元気が出てきたり、楽しい気持ちになったりすることもあります。
でも実用性には乏しい。
大抵の結論はスローガンやポエムみたいなもので、気休めにしかなりませんでした。
自己啓発本が役に立たない理由
そもそも成功者には「特殊な人」が多いです。
生まれ持っての性格、才能、育った環境など、飛びぬけて個性的な人ばかり。
普通の人が同じように努力して、「楽しく生きる方法」を実践しても(再現しようとしても)、失敗する可能性が高いのです。
例えていうなら、成功者はスポーツカーのようなもの。
スポーツカーには、スポーツカーでしか表現できない華麗なコーナリング、最高時速数百キロという加速性能があります。
しかも彼らはサーキット場で激しい競争を勝ち抜いたエリート。いわばスポーツカーの中のスポーツカーです。
しかし私たち普通車(軽自動車かも?)は、街角のコーナリングにさえ苦労しながら、お世辞にも優秀とは言えないエンジンで、一般道を走っています。
サーキット場での競争なんて、そもそも求めていません。一般道でスポーツカーの運転技術は(ほとんど)役に立ちません。
いわば「普通車で街中を快適に走る方法」を求めています。
しかし啓発本に書かれている内容の多くは、「時速400キロでレースを勝ち抜く方法」だったり、「速度を緩めずにハンドルを切る方法」だったりします。
一般道でそんなことをしても、交通事故を招くだけです。
「失敗から学べ」なんて言われても、交通違反や事故が免責されるわけではありません。
楽しく生きる方法 = 不幸を遠ざけるという考え方
普通車には普通車の運転技法があります。
わたしたち凡人には凡人なりの「楽しく生きる方法」があるはずです。
日本人は「楽しく生きるのが下手な国民」だと言われています。
サービス残業をいとわず、有給の取得率は先進国で最低水準。
マイナス思考の持ち主が多く、恋愛にも消極的な人が少なくありません。
どうやら「国民性」というて観点から考えてみても、楽しく生きるのは難しい。
では発想を転換してみてはどうでしょう。
例えば、
「楽しくないこと」や「嫌なこと」をしない。
「人生は楽しまなきゃダメだ!」と強迫的に考えるのではなく、いわば消去法で「楽しくないこと」を一つ一つ人生から取り除いていくのです。
楽しく生きることは難しいかもしれませんが、「不幸を遠ざける生き方」なら何となく実現できそうな気がしませんか?
不安や悩みは克服せずに『逃避』する
そうは言っても不安や悩みは尽きないし、コンプレックス(劣等感)だってある。
嫌な仕事もしなくちゃいけないし、彼氏はいないし、お金もないし…
そんな反論が聞こえてきそうです。
不安や悩みとは正面から向き合うのではなく、あえて「逃避」してみてはどうでしょう。
わたしたちは、
- 悩みは解消することができる(解消しなくてはならない)
- 問題を解決できないのは、自分の努力が足りないからだ(だから努力しなくてはならない)
- 不安や欠点は克服できる(克服しなくてはならない)
…というような考え方に慣れ親しんでいます。
でもそれって、単なる先入観ではないでしょうか。
少なくとも私の周囲に欠点(短所)を克服できた人は見当たりませんし、人一倍努力して何かを成し遂げた人もいません。
むしろ成功談として多いのは、
「人間関係に疲れてサラリーマンを辞め、起業した人」とか、
「絵を描くこと以外に取り得がないから、イラストレーターとして働いている人」
とか、何かを「諦めた人」のエピソード。
見方を変えれば、一種の逃避行です。
努力の副作用がもたらす害
努力は苦痛を伴います。
ときに「副作用」をもたらし、それが原因で不幸になることもあります。
努力は美徳と見なされることも多いのですが、世の中には「無駄な努力」があることもわたしたちは経験的に知っています。
例えばプロスポーツの世界で生きていける才能の持ち主は、100人に1人もいません。
「プロになるための努力」は徒労に終わるのが普通です。
スポーツを通じて「体を動かすことの楽しさ」、「社会性やマナー」、「コミュニケーション能力」などは学べるかもしれません。
しかしどれだけ努力しても、プロのスポーツ選手として成功できる人間はほんの一握り。
確率的には「宝くじに当たる人」と同じくらい少ないはずです。
だからこそ、わたしたちはスポーツや習い事を「嗜む」程度で満足します。
嗜むとは、ほどほどに努力して、ほどほどに楽しむこと。
しかし一部の人は、嗜むだけでは飽き足らず、能力の限界を超えてプロを目指します。
その結果、学業は疎かになり、普通の職業ではキャリアアップできず、10代~20代を棒に振る人も珍しくありません。
これが努力の副作用です。
プロを目指すことさえしなければ(嗜む程度なら)、スポーツや習い事に害はありません。
むしろ人生を豊かにしてくれる側面の方が大きいはずです。
しかし「努力で何とかなる」「誰でもプロになれる」という思い込みに取りつかれてしまうと、自身が「最も得意なこと」「好きなこと」でさえ、人生に害を及ぼすのです。
努力をすればするほど、時間を浪費し、将来的な選択肢は狭まっていく。
プロスポーツの世界は特殊だから仕方ない、と思われるかもしれませんが、問題なのは、私たちの日常にもこのような危険性が潜んでいることです。
日常に潜む「努力すれば解決する」という思い込み
対人関係を例にとって考えてみましょう。
「人前で話すのが苦手な人」や「職場の人間関係に疲れやすい人」はけして少なくありません。
そういう人々に対しては、
「場数を踏めば何とかなるよ」 → 社会経験が足りないだけ!
「他人のことを気にし過ぎだよ」 → 心構え次第で性格は変わる!
「気合と根性で乗り切ろう!」 → みんな我慢しているんだから、あなたも我慢しなさい!
というようなアドバイスがあり得るかもしれません。煎じ詰めれば「努力が足りない」ということです。
しかし実際には、人前で流暢に話せるのは「適性のある人」です。
職場の人間関係を上手にマネージメントできる人は、大抵の場合、そのために必要な資質(社交的な性格など)をはじめから持ち合わせています。
彼らは人一倍なにかを「我慢」しているわけではありません。
気合も根性も人並ですが、「なんとなく上手くやれている人」の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。
経験不足を痛感したり、努力の必要性を感じたりするのは、「自分が苦手な分野」とか「自然にできないこと」です。
ある程度は努力で克服できる部分もあるかもしれませんが、必ずしも全ての悩み、問題が努力で解消されるわけではありません。
「人前で話すのが苦手な人」は、人前で話すという行為自体に大変な苦痛を覚えます。
「痛い」と訴えている人に対して、「努力が足りない」というアドバイスはどれほど冷酷に響くことでしょう。
「職場の人間関係に疲れやすい人」は、人間関係そのものがストレスの原因になります。
「そんなことみんな我慢している」と言われても、「私」と「みんな」は違います。
「我慢」や「ストレス」の許容値も人ぞれぞれ違って当然ですし、それは身長や血液型がそうであるように、自分では選べないものです。
すなわち「経験や努力で何となる」問題と、そうでない問題がある。
努力とは万能薬ではないのです。
「できない」ことは諦めて、無理なく「できる」ことを探る
しかし世の中では(特に成功者の言説に多いのですが)、努力することで全ての問題が解決するかのように言われています。
プロ並みに成功することは無理でも、誰でも「人並み」には目標を達成できる。(達成しなくてはならない)
その前提を疑う人は、「怠け者」と呼ばれたり、「考え方が甘い」と言われたりします。
わたしの考える「楽しく生きる方法」は、こうした世間の常識とは相容れない部分があります。
努力の大切さは認めますが、生まれ持っての資質をより重視すべきだと思うのです。
「人並みにできないこと」は、努力しても「のびしろ」が少ない。
努力の過程で苦痛やストレスを覚えることも多く、努力が徒労に終わる(無駄になる)例も珍しくない。
でも自分に「向いていること」は、それほど努力を必要としませんし、ときには努力そのものが愉悦となります。
わずかな出力から大きな成果を得られて「楽しい」からこそ、自然と頑張れる。
もちろん、どれだけ資質に恵まれていても、ときにはスランプに陥ったり、周囲の理解を得られず苦しい思いをしたりします。
でもそれは、より「高い次元での悩み」であって、解決する価値のある問題です。
誰もがプロレベルにまで資質を伸ばし、成功できるとは限りませんが、「自己実現」や本当の意味での「自己啓発」に至る可能性は高い。
潜在意識ではみんなそのことが分かっているからこそ、「趣味を仕事に」「プロとして独立する」といった生き方に憧れるのではないでしょうか。
「能力至上主義」と「資質を重視する生き方」の違い
ここまでの私の主張は、
「無駄な努力はやめて、生まれ持った才能を磨け」
という風に聞こえるかもしれません。
偏狭なオバサンのお説教みたいです。
でも「才能を磨け」=「生まれ持った資質を伸ばすべきだ」という価値観は、「得意な分野でプロを目指せ」という強迫的な教育論と紙一重。
それは一種の「能力至上主義」「才能偏重主義」と言い換えることもできます。
才能や能力だけで人間を評価し、人生の価値を一面的に捉え過ぎている。
そういう考え方もやはり誤りだと思いますし、「楽しく生きる方法」というよりはむしろ、不幸を招く原因に思えます。
先ほど私は、プロスポーツの世界で成功することの厳しさを指摘しました。
いくら努力しても、プロの世界で成功できる可能性は非常に低い。
もっと控えめに、
「好きなことを仕事にする」
「得意な分野で生計を立てる」
という風にハードルを下げても、思い通りにいかない人の方が多はずです。
才能偏重主義は「才能がなければ幸せになれない」という人生観に陥りやすい。
だから私は、「誰もが生まれ持った才能を伸ばさなければならない」とも思いません。
いわば「何をするか」ではなく、「何をしないか」という消去法の上に成り立っています。
例えば、苦手なこと、苦痛を覚えること、コンプレックスやトラウマについて、正面から向き合うのではなく(努力で解決しようとせず)、とりあえずは放置してみる。
そのうえで、自分が「楽しい」こと、自然にできる(できそう)なことを、積極的に探してみる。
いわば「必要最小限の努力で何ができるか」を考えていただきたいのです。
私の体験談「コミュ障にOLは無理!」
ここで一つの実例として、私の体験談をお話したいと思います。
先ほど「人前で話すのが苦手な人」や「職場の人間関係に疲れやすい人」を例に挙げましたが、あれはそのまま私の性格に当てはまります。
しかも極度の人見知り。簡単に言えば「コミュ障」ですね。
かつての私は「苦手意識は克服できる」(克服しなくてはならない)と考えていました。
だからあえて接客業のバイトに応募したり、「話し方セミナー」に参加したり、「為せば成る」式の自己改革に励んでいました。
サークルや職場の人間関係も疎かにせず、むしろ人付き合いに積極的な人間だったと思います。
一度は大手の企業に就職し、フットワークが要求される総務職も経験しました。
就職後は、大勢の前でプレゼンすることも日常茶飯事。
会社のイベントでは頻繁に司会を担当し、多い日には電話対応も1日に数十件という職場でした。
人前で話すことが苦手で、しかも人間関係に疲れやすい私にとっては、どれも本当に大変な業務に思えました。
やりがいがないわけではありませんでしたが、毎日の緊張感、ストレスはやはり大きく、そういった仕事を「楽しい」と感じたことは一度もありません。
転職を繰り返し気づいたこと「努力してもダメなものはダメ」
自分なりに努力はしたつもりです。
苦手意識の一部は克服できたかもしれません。
しかしOLの仕事に「喜び」や「楽しさ」は見出せませんでした。
努力の原動力となったのは、「不安を消したい」という切迫感。
それでも悩みや心配は尽きませんでしたし、毎日が憂うつでした。
退職を決意したのは、就職してから5年後。
「楽しく生きる」という観点から見ると、この仕事に将来がないように思えたからです。
「今より幸せに暮らしている未来の自分」がまったく想像できなかった。
その後は転職を繰り返し、10年間で6つの職場を渡り歩きました。
最後に就職したのがWEBの制作会社。
コピーライターとして雇用され、3年間ほど実務経験を積みました。
その際に痛感したのが、
① 私には人間関係に適応する能力がない(表面上は適応できても、職場を問わずストレスが大きい)
② 才能をいくら磨いても「幸せ」や「楽しさ」には直結しない
③ 努力と幸せの分量は比例しない。むしろ反比例することも多い
以上3つのポイントです。
「①」は私の性格によるもので、これ以上は改善の余地がないように思えました。
「②」は自身の才能に気づいてから得た知見。
コピーライターは初めて自分に「向いている」と思えた仕事です。
でもいくらその能力を磨いても「楽しい」とは思えませんでした。
社内でトップクラスの業績を上げても、上司や同僚から認められても、まったく楽しくはないのです。
「次も期待に応えなくては」というプレッシャーばかり大きくなっていきました。
「③」は転職を繰り返して分かったこと。
詳しくは先ほど述べました。
「無駄に終わる努力」もあれば、「努力が苦痛をもたらす」こともある。経験則から得た諦念です。
3つのポイントを一言でまとめると、「努力してもダメなものはダメ」という身も蓋もない結論に集約されてしまうのでした…。
人間関係ゼロの毎日で楽になった!
WEBの制作会社を退職した私は、思い切ってフリーランスという道を選びました。
経験や努力を重ねても、人間関係の悩みは尽きない。どうやら自分は根本的に、会社勤めが向いていないらしい…
それならいっそ、一人で働いてみようと思ったのです。
しかし私には特別な才能が何もありません。
コピーライターの実務経験はありましたが、たかだか「向いている」程度の才能で、果たしてフリーランスとしてやっていけるのか。
完全な見切り発車で、暗中模索の日々が始まりました。
独立した当初、私にはコネもノウハウもありませんでした。
収入が途絶え、数ヵ月は貯金を切り崩すだけの日々が続きました。
でもしばらくして気づいたのです。
「このまま仕事が見つからないかもしれない」というストレスは、人間関係のストレスに比べてずっと小さい。
少なくとも私の場合、「自分がこの先どうなるか」ということに対しては、自分でも驚くほど楽観的だったのです。
一方で、
「他人にどう思われているのか」
「嫌われているのではないか」
この手の不安に私はとことんデリケートです。
不安や悩みの根底には、いつも「他人」の存在がありました。
しかし自分の将来に対しては、良い意味で鈍感でした。
独立後は試行錯誤の連続で、必要な知識はすべて独学で習得しなくてはならず、それでも仕事は見つかりません。
ただ、自分自身で「努力している」「苦労している」という感じはなく、「必要なこと」を淡々とこなしていく毎日でした。
これまでとは明らかに原動力の種類が違うのです。
それは不安でも恐怖心でもなく、「やるべきことをやる」という自己陶冶の心理に近いものでした。
まるでパズルを組み合わせていくときのように、集中力と時間だけが要求される日々。
気づけば仕事も徐々に増えて、何とかWEBライターとして生計を維持できるようになっていました。(それでも収入はOL時代の半分程度ですが)
執筆した記事のいくつかは、検索サイトで1位を獲得。これが私のささやかな成功体験です。
「楽しくない」から逃避した先に「楽しく生きる方法」が
私が見つけたのは、「努力せずに楽しく生きる方法」です。
厳密に言うと、「努力を全くしない」というわけではありませんが、「自分の苦手なことを克服する努力」は、だいぶ前に放棄してしまいました。
結果として(私自身の人生観に反して)、私は不幸になることもなく、むしろ「人生で今が一番楽しい」と思えるようになりました。
いわば「楽しくない」から逃避した先に、「楽しく生きる方法」が見つかったのです。
そして気づいたことがあります。
自分にとって「楽しくない」努力、苦痛や不安を伴う努力は、実は「妥協」と紙一重です。
「みんなやっているから仕方ない」という思考停止の状態が、世間では我慢とか忍耐とか呼ばれて、美徳のように扱われている。
そうした常識にある種の「ごまかし」を見て取ったのは、ドイツの哲学者ウィトゲンシュタインです。
彼は哲学的な問題や言語活動をゲームとして捉え、「言語ゲーム」という概念を提唱しました。
ドイツの哲学者に学ぶ幸福論
今回、私は偉そうに人生観や幸福論を語っていますが(ごめんなさい)、その趣旨の多くはウィトゲンシュタインの理論によるものです。
彼はあらゆる言語活動をゲームと見なしました。
例えば、「努力とは何か」という問題は非常に哲学的に聞こえますが、実は定義(意味)の問題です。
- 努力とは、苦手なことを克服する作業である
- 努力とは、自分の才能を伸ばすことである
- 努力とは、苦痛を耐え忍び、自己改革に励むことである
このように、努力の定義(意味)は様々な表現で提示できます。
だから「努力とは何か」という問いは成立しない、ウィトゲンシュタインはそう考えました。
定義(意味)づけとは各々の「解釈」の問題で、唯一無二の「真理」に至ることはありません。
したがって「努力とは何か」と問うこと自体、誤り(ナンセンス)だというのがウィトゲンシュタインの主張です。
(それは例えば「本物の赤とはどんな色か」と問うようなもので、本来は答えようがありません)
この理論は同様に、
「楽しく生きるとはどういうことか」
「楽しく生きる方法とは?」
というような問いにも応用できます。
つまり、楽しく生きる方法は人それぞれで、絶対的な「正解」はない。
問い自体が成立しないからこそ、正解もないのです。
※ウィトゲンシュタインはこれら「正解のない問い」について、「ゲームのルールに違反しているようなものだ」と表現しました。
ここまでのまとめ
話が複雑になってきたので、ここで少し整理しておきましょう。
成功者の体験談は応用がきかない(一般人には再現できない)
「努力すれば幸せになれる」という思い込みは危うい(努力しても無理なものは無理!)
「できない」ことは諦めて、「できる」ことをやった方が効率的で楽しい
(自分の資質や適性を見きわめると楽)
「何をするか」ではなく、「何をしないか」と消去法で考えることも重要
(表面上は「現実逃避」に見えてもOK!)
無駄な努力を回避するために「必要最小限の努力で何ができるか」を考えてみる
(苦痛のない努力は楽しい… かも)
「逃避行」で不幸から遠ざかる生き方を徹底すると、意外に楽しい人生が見つかる
(ただしこれは私個人の体験談なので、参考にならない部分もあると思います)
「正しい努力とは何か」「楽しく生きるとはどういうことか」というような問いに正解はない(無限の解釈がある以上、問い自体が成立しない)
随分とひねくれた主張に思えますが、私自身、はじめからそのように考えて行動していたわけではありません。
ただ、数年前にウィトゲンシュタインの理論に触れてから、人生上の明確な指針を獲得できたように思います。
人生観が大きく変わった、と言っても良いかもしれません。
以前の私は「正しい努力」や「正しい生き方」が存在すると思っていました。
そういったものを積み重ねていけば、楽しく生きることができると。
人生には唯一無二の「正解」があって、誰もがその道を進むべきだと考えていたのです。
世間の常識に囚われて、努力も我慢も苦労も妥協も、全てを混同していました。
しかし、フリーランスとして独立して以降(普通の仕事から逃避し)、必ずしも「正しい努力が存在するとは限らない」という知見を得ました。
人はある種の努力を放棄しても、苦手なことを克服しなくても、楽しく生きることができる。
当初は「たまたま運が良かっただけかも…」と半信半疑でしたが、そのとき偶然目にしたウィトゲンシュタインの理論が、私の新たな人生観を補強してくれました。
いわば哲学の世界で革命を起こした偉人から「お墨付き」をもらったのです。
楽しく生きる方法は、自分自身で決めることができる、と。
楽しく生きる方法に正解はない。だから「ゆとり」もOK
私の主張は、非常に逆説的な意見を含んでいます。もしかすると、
「楽しく生きる方法は、そんな方法はないと知ることだ」
…という風に聞こえるかもしれません。
なんだか禅問答みたいです。
でも厳密に言うとちょっと違います。
つまり、「楽しく生きる方法に正解はない」というのが、私の提言したい幸福論です。
苦手なことから逃避するのも、ある種の努力を放棄するのも、必ずしも間違いだとは限りません。
自分にとっての「楽な道」が、案外「楽しく生きる」ための近道だったりするからです。
例えば最近の若い人たちは、努力に見合う結果が得られなことを「コスパが悪い」という風に表現します。
「気合」「根性」「やる気」といった言葉を敬遠します。
そのため「ゆとり世代」などと揶揄されることもありますが、結構クレバーな「戦略」と見ることもできるのではないでしょうか。
彼らは挫折を味わうことのないよう「リスクヘッジしている」、または、「努力を効率化&最適化している」と言い換えることもできるからです。
(ウィトゲンシュタインなら「それも定義の問題だ」と言うことでしょう)
物事をこのように多面的に見る方法を、哲学や論理学の世界では「相対化」と言います。
「相対化」すると不安や悩みが消えることも
私を含め多くの人には「一面的になり過ぎる」傾向があって、例えば不安や悩みに直面したとき、大抵の場合は視野が狭くなっています。
そういう際に役立つのが「相対化」という作業。
色々な角度から悩みや不安を見つめ直し、新たな切り口、解決策を探してみる。
すると意外な結論が見えてくることもあります。
これ以上は努力しても無駄かもしれない… とか、「とりあえず放置」がベターな選択かもしれない… とか、真逆のことをやった方が楽しいかも… とか。
換言すれば、物事を「俯瞰して見る」ということですね。
たとえ悩みやトラブルそのものを解決できなくても、俯瞰して考えると「気が楽になる」ということはよくあります。
よく言われるのは、
「宇宙の歴史から見れば私の人生なんてほんの一瞬だ」
「発展途上国に比べれば日本はまだ恵まれている」というような表現。
これも相対化の一種です。
(このような「極端な比較」にはあまり実用性がありませんが…)
日頃から物事を相対化する習慣を身につけておくと、自然とポジティブな考え方ができるようになります。
少なくとも、深刻に考えすぎる(一面的になり過ぎる)という「思考の落とし穴」を回避することはできるはずです。
最後に
今回は私という凡人の視点から「楽しく生きる方法」を提言してみました。
いわば「普通の人が比較的簡単に人生を楽しく生きる方法」です。
苦手なことから逃避する生き方というのは、確かに消極的かもしれません。
でもだからこそ、省エネで、負荷(苦痛)の少ない、汎用性に優れた方法ではないでしょうか。
特別な才能や努力を必要としませんし、ちょっとした「心構え」さえあれば、誰にでも実践できる方法です。
ただし、言い方を変えれば、
「努力の必要性を疑う」
→ 最低限必要なことはピンポイントできっちりやり切る
「人生に正解はない」
→ 自分でオリジナルの「幸せ」(自分なりの回答)を追求しなくてはならない
「自分の資質に合った生き方を選ぶ」
→ 自分の資質を見きわめるまでは立ち止まらず、色々なことにチャレンジしてみる
以上のような厳しい側面も含まれています。
「世間に合わせた方が楽」だという人もいますから、必ずしも万人におすすめできる方法ではないかもしれません。
もちろん「みんな私みたいに生きた方が良い」と言うつもりはないですし、「言うは易く行うは難し」という部分もあると思います。
しかしそれでも、世間と自分の価値観に「ズレ」を感じている人や、「普通に暮らしているのに楽しくない人」には、ささやかな「抜け道」くらいは提示できるのではないか…
そう考えてこの記事を執筆しました。
「楽しくないことはやらない」=「不幸を遠ざける生き方」
に気づくまで、私は10年かかりました。
達観したとかそういう感慨は全然なくて、
「もう少し早く気づいていれば楽だったのに!」
「今までしんどかった!」
というのが正直な思いです(笑)
私が闇雲に苦労して抽出した人生のエッセンスが、ちょっとでも皆さんのお役に立てば幸いです。
最後にウィトゲンシュタインの名言をご紹介。
「君自身が君の世界だ。君の生き方で、君の世界はいくらでも良くなっていく。
君が良いと思ったら、それで良い。
誰かから何と言われようと、事実が変わるわけじゃない」
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・運営責任者/株式会社ユーテック
・顧問弁護士/弁護士法人えそら
・商標登録/登録番号「1・2・3」
監修の先生ご紹介
マイハピの記事を監修していただいている専門家の先生をご紹介いたします。
※順不同・敬称略
東京弁護士会所属(登録番号49705)。宅地建物取引士。
法律事務所や大手不動産会社、大手不動産投資顧問会社を経て独立。
IT、不動産、相続、人事労務など幅広い相談に対応している。
さまざまなメディアにおいて多数の執筆実績がある。
松浦綜合法律事務所様の公式HP
中央大学法学部卒業。
横浜市内の司法書士事務所勤務を経て、2014年に横浜で独立開業。
2018年に法人化し平塚支店を設置。
個人向けに終活サポート・相続手続・障がい者の法的支援、法人向けに企業の法務手続等幅広く取り扱っております。
特に相続案件は年間100件以上受任しています。
新聞への寄稿、書籍執筆経験あり。
司法書士法人スターディオ様の公式HP
加陽麻里布(かよう・まりの)です。
当事務所は、上場会社からベンチャー企業の法務手続を幅広く扱っています。
上場準備、ファンド組成、ストックオプションの設計から発行まで、ワンストッ プで行うことが可能です。
わたしたちは「クライアントファースト」という基本理念とその理念の実現のための基本姿勢を共有できるメンバーと共に、常に創意工夫をし、新たな付加価値を創造することによってお客様の多様なニーズにお応えします。高度な法律手続の専門家として、お客様に選ばれるパートナーとなることを目指しております。
関わってくださったすべてのお客様に多大なる感謝を持ち誠心誠意取組んでまいります。どうぞお気軽にご相談ください。
司法書士法人永田町事務所の公式HP
卒業後、弁護士事務所、司法書士事務所、税理士事務所などで勤務。
現在、行政書士として行政書士事務所で活動中。
行政書士、宅地建物取引士、ビジネス実務法務検定2級、日商簿記2級、英検2級、測量士補、FP2級、賃貸不動産経営管理士などの資格を所有しています。
りこ行政書士事務所様の公式HP
大手監査法人の地方事務所で上場企業の法定監査などに10年ほど従事した後、出産・育児をきっかけに退職。
現在は、個人で会計事務所を開業し、中小監査法人での監査業務を継続しつつ、起業女性の会計・税務サポートなどを中心に行っている。
※オンラインでの対応も可能。ぜひ、お気軽にご相談ください。
内山会計事務所様の公式サイト
1995年4月 情報通信会社入社。
30歳を機に苦手だった経済分野を克服したいという思いから、ファイナンシャル・プランナーの勉強を始める。
同時期に購入したマンションの返済を8年で完済した実績を持つ。
2006年11月 卓越した専門性が求められる世界共通水準のFP資格であるCFP認定を受けると同時に、国家資格であるファイナンシャル・プランニング技能士1級を取得。
2017年10月 独立。
主に個人を相手にお金に関する相談及び提案設計業務を行っています。
個人向け相談(資産運用・保険診断・税金相談・相続対策・家計診断・ローン住宅購入のアドバイス)、企業向け相談(補助金、助成金の申請アドバイス・各種申請業務代行)の他、資産運用など上記内容にまつわるセミナー講師(企業向け・サークル、団体向け)を行う傍ら、執筆・監修業も手掛ける。
また、個人事業主の法人化における手続きアドバイス等も行う。
新井智美オフィシャルウェブサイト
結婚、出産、子育てをしながら、某大手生命保険会社に12年勤務
退職後、生川FP事務所を開業し、2007年2月、株式会社アスト設立
マネーライフに関する様々な分野でのコンサルタントとして活動中。
現在、家計相談などのコンサルタントの傍ら、各地でこづかいゲームをつかったワークショップをはじめ、子どもの心とお金の関係について講演、セミナーを行っている。
2015年度金融知識普及功労者として金融庁・日本銀行から表彰を受ける。
株式会社アスト様の公式HP
社労士事務所OnYourSide様の公式サイト
ひとりでも多くの女性にあなたらしい人生を送ってほしいと願っています。
ハルニレ相談室様の公式サイト
生命保険など各種金融商品の勧誘・販売を一切行っていません。
自主企画のセミナー動員数はこれまで500人超。
宅建士でもあることから「お金と不動産の専門家」として活動。
この他の業務として【専門記事執筆】【宅建士・FP技能士資格講師】【コンサルティング】。
特に執筆は、年間250記事以上の連載、記事監修の実績があります。(現在の主な連載先…西日本シティ銀行、キャリコネニュース、財経新聞、マネーキャリアマガジンなど)
芙蓉宅建FPオフィス様の公式サイト
岡本妃香里様が運営しているマリモドラッグ
年間2万6千件を超えるお葬式、お墓、手元供養、無料仏事相談・お問合せを承ってきた「大野屋テレホンセンター」で仏事アドバイザーを務める。
お墓ディレクター2級、仏事コーディネーターの専門資格を保有。
豊富な知識と落ち着いた語り口でお客様に寄り添った回答が強み。
メモリアルアートの大野屋様の公式HP